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狭い押入れに棚
たいして入らなかった狭い押入れに、棚を作ってもらいました。


棚を4段(見えない上にも一段あります)


角材に金折(補強金具)を取り付けて、4箇所にビスで留め立てました。

表面が黄色でツルツルのパネコート板は、ホームセンターで、カットしてもらって はめました。


棚ができたら、片付き、一目瞭然、取り出し易くなりました。

材料費はだいたい4千くらいです。

狭い押入れに、半日くらいで、市販の棚より安くできました・・・夫に感謝!
| 手作り | 21:04 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
なまずの蒲焼

3月24日(日) 田舎(海津市)のお千代保稲荷(おちょぼいなり)へ


なまずの蒲焼

お千代保(おちょぼ)さんの「やまと新館」さんで、なまずの蒲焼をいただきました。

子供の頃、一度食べたことがありますが、ほんとうに久しぶり・・・

お千代保さんは、うなぎの蒲焼も有名ですが、なまずの蒲焼も名物です。

なまずの蒲焼は、白身で、しっかり焼いて、甘辛く、うなぎより あっさりして 美味でした。


父は、皮から骨までしゃぶり 美味しそうに食べてました!


油揚げを お供えして お参り


門前通りは、賑わってました。


親戚のおばさんが、摘んできた つくし

| 日記 | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
会津藩校日新館

2月18日(日) 会津若松市 日新館へ

1803年 飢饉や政策の失敗により、苦しい会津藩を立て直すために藩校日新館を作り、人材育成に力を入れた。

当時は、鶴ヶ城の西側にあり、会津戦争(戊辰戦争)で消失したため、現在の建物は、1987年に、会津若松市内から北へ9kmくらいのところに復元された。



日新館を守る獅子


日新館の入り口の南門


戟門(げきもん) 太鼓をおいて時を知らせた。


大学

文武両道
漢学、天文学、蘭学、精密学(化学)などに渡る多数教科制
兵学、弓術、刀術など武芸全般

小学校から大学まであり、
素読所は10歳になった武士の子供が入学して学び、
15歳になって成績の良いものは大学へ入学できた。

白虎隊(16〜17)の少年たちも学んでいた。


さらに優秀な者は江戸へ遊学(山本八重の兄の山本覚馬も行っている)へ。



大成殿 孔子が祭ってあるところ。


孔子(儒教の創始者)
武士道の基本を孔子の教えに基づいて教育した。


長くて鋭い氷柱〜この日は雪がさんさんと降っていました!


素読所や東塾、大学などの回廊の建物


「日新」の名は、四書五経の大学・伝二章の
「苟(まこと)ニ日モ新タナラバ日ニ日ニ新タニ又日ニ新ニセン」文に由来。


日新館へ入学する前の6〜9歳までの子供たちは「什(会津藩における藩士の子弟を教育する組織)の掟」を教え込まれた。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言を言ふ事はなりませぬ

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

五、弱い者をいぢめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです



現在の「あいづっこ宣言」

一、人をいたわります

二、ありがとうごめんなさいを言います

三、がまんをします

四、卑怯なふるまいをしません

五、会津を誇り年上を敬います

六、夢に向かってがんばります

やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです


日新館を訪れて、江戸時代の会津藩の教育水準が高かったのに驚きました。

会津戦争で負け、明治になり、教育者など優秀な人材を輩出しています。

現代、平和な私たちですが、デフレ、原発、防衛、TTP、高齢化社会など色々な問題が起きています。
苦難な今、優秀な人材が必要、教育が大事だと・・・

| 旅とイベント | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
鶴ヶ城

2月17日(土)鶴ヶ城へ(福島県会津若松市)


雪をかぶっり凛とした風格を持った鶴ヶ城(現在の城は復元されたもの)

美濃3万石の高須藩から養子に来た「容保」は、会津藩の家訓を守る覚悟で、至難な役目の京都守護職を引き受け、力を尽くします・・・・

・・・(この幕末時代の歴史は分かり難いですね〜)・・・

幕府軍の会津は、会津城で激戦の上、降伏・・・

鶴ヶ城は、NHK大河「八重の桜」の主人公の山本八重が、会津戦争で籠城してスペンサー銃を持って戦ったところです。



新しく葺かれた赤瓦


お庭の松には、雪の重みから枝が折れるのを防ぐために、縄を円錐形に張ってありました。
知恵だけでなく美観を持った日本の伝統技ですね。


『荒城の月』の記念碑


作詞の土井晩翠は、この鶴ヶ城と仙台の青葉城をモチーフにして書いたそうです。

『荒城の月』の歌を歌う時、会津城の歴史を思いを浮かべることでしょう〜

| 旅とイベント | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
白いタンポポ

暖かくなったのでタンポポが咲いてないかなぁと・・・

すると黄色いタンポポを一輪だけ発見!


めずらしい白いタンポポも発見!


黄色いタンポポより早く咲くようですね!

| | 16:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
瓢湖の白鳥

2月16日 新潟県阿賀野市瓢湖へ
 
白鳥が、飛行機のように空からすっと現れ、水面に優雅に着水!

昼間は、近くの田んぼへ餌を取りに行っているのだそうです。


2月17日 早朝7時頃 瓢湖へ

前日、小島にカモが陣取って真っ黒だったのに、朝になると白鳥が陣取って真っ白に・・・

のんびりと 白鳥は首を後ろに回して 頭を羽に埋めて寝ていましたが、しだいに起きて出して朝の身支度をしているよう・・・
反対にカモたちは動き回って賑やか・・・

瓢湖には、越冬にやってくる白鳥は何千羽にもなるそうです。

白鳥とカモがそれはもう賑やかで見ていても飽きませんでした。

夜に雪が降ったので田んぼの餌が探せないし、風がなく飛べないので、朝 白鳥が飛んでいく姿が見られず残念・・・
| 生き物 | 01:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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